

酔った勢いで独身寮の3階から転落。両かかとを粉砕骨折し、腰椎4番・5番を圧迫骨折──。以来約30年、腰痛とともに生きてきた千田昌明さんは今や、80kmを走破するトレイルランナーだ。手術をしない治療、そして運動という「最高の調味料」を掛け合わせ、苦悶の日々から再び走り出すまでの物語を追った。
事故は1995年、銀行勤めで名古屋の独身寮に住んでいた30歳のころ。同じ独身寮に住む後輩の部屋で酒を飲んだ帰り、酔って恐らく自室にいるものと勘違いしてトイレと思いきや突き当たりの非常階段へ入ってしまい、手すりの低い階段から勢い余って3階下の土留めのコンクリートへ転落してしまう。当時のことはほとんど覚えていないという。頭から落ちていれば命はなかったかもしれないが、衝撃はすべてかかとで受け止める形になり、両かかと、特に右をひどく粉砕骨折。同時に腰椎4番・5番を圧迫骨折する重傷を負った。
「かかとは砕けてしまったため、カーボンやチタン、ボルトのような杭で形を作り直すほどの大手術となりました。名古屋で手術を受けた後、東京の病院でも治療を重ね、右足はおよそ7回、左足も5回ほど手術を繰り返すことになりました」
アメリカ赴任となった時には、治療した箇所から感染症を起こして現地で救急搬送・入院したこともあったという。一方、腰椎の圧迫骨折は「安静に」と言われるのみで、手術は一度も行われなかった。退院後はかかとのリハビリに必死で取り組み、腰のことはほとんど気に留めていなかったという。
だが、この事故を境に生活は大きく変わる。歩行に支障はないものの、車の運転やデスクワークのように長時間同じ姿勢を続けることが難しくなり、30分から1時間も座ると激しい腰痛に襲われるようになった。働き盛りの30代前半にして、千田さんは慢性的な痛みと長く付き合っていくことになった。

2009年にアメリカ赴任を終えて帰国し、翌2010年に自宅の一室で国際税務を専門とする会計事務所を立ち上げて独立した。当初は土日も休まず働く日々で、趣味に割く余裕はなかったが、仕事に没頭する中でいつしか腰の痛みも意識しなくなっていった。 アメリカ滞在中は車社会ですっかり体重が増え、最大で87キロに達していたが(現在は65キロほど)、帰国後、昔から好きだった登山やハイキングを再開すると、体は少しずつ変わっていった。
「学生時代から自然の中に身を置くのが好きで、関西を拠点に、箕面から能勢、六甲、奈良と、あちこちの山を歩きまわるようになりました」。
転機はコロナ禍の2020年頃。山奥で川遊びしているうちに気が付いたら帰りの終電バス時間が危うくなり、こんな山奥でバスをのがしたら野宿しかないので必死に山道を走って上り下り下したとき、「意外と自分も走れるじゃないか」と気づく。それまでも少しずつ山を走って登る人を見かけたことはあったが、歩いて登るのもとてもきつい山を走って登るなんて、しかもこんなかかとではとても無理だと思い込んでいた自分が、である。これがトレイルランニングを始めるきっかけとなった。

トレイルランニングの大会では優秀な成績を収めている千田さん
トレイルランニングとは、舗装されていない登山道や林道など自然の中を走るアウトドアスポーツだ。アップダウンや石、木の根のある不安定な道を進むため、バランス感覚や体幹、普段使わない筋肉が自然と鍛えられる。決められたコースのタイムを競う競技で、短いもので20km前後、長いものは150km以上にもなる。
レースに本格的に出始めたのはここ4年ほどだが、3年ほど前には実母の介護施設が京都にあったということもあり、トレランチームのチームスカイ京都に入り、千田さんはすでに80kmを走破するトレイルランナーへと変貌を遂げた。海外出張時には国際大会への参加も目論んでおり、国内の小さな大会では優勝や入賞をして賞金を得たことも。古傷ゆえに足首の可動域が狭く坂道では転びやすく、80kmも走れば最後は右足を着けなくなることもある。それでも彼は走り続け、近年はロードバイクやマウンテンバイク、水泳にも挑戦している。
「私にとって運動は単なる趣味ではないんです。非日常で山を走っていると仕事上のいいアイデアが突然浮かぶ時もありますし、とりわけ、汗を流して山を走り切った後、風呂上がりに飲む一杯のビールは格別で、普段とは全く味が違います。人生の味わいを深くするこんな『最高の調味料』はないといつも実感します。それが次の活動への大きなモチベーションになっています」
しかし、トレランを始めたり、実母の介護でぎっくり腰になったりすると、腰痛はふたたび千田さんを苦しめ続けるようになっていた。車の運転やデスクワークのような生活に欠かせない姿勢では耐え難い苦しみに見舞われる。医師から具体的な治療を勧められることはなく、レントゲンのたびに「圧迫骨折の痕がある」と言われる程度だった。あるときインターネットを調べるうちに、自分の症状は「腰部脊柱管狭窄症」ではないかと考えるようになる。そうして手術以外の治療法を探す中で、ILC国際腰痛クリニックの存在を知ることになる。
「もともと手術には、働き盛りで家族を支える立場ゆえのリスクや、単純な怖さから抵抗がありました。『注射だけ、1日で治る』という説明には、正直なところ半信半疑でしたが、まずは話だけ聞いてみようと好奇心が動いたのと、何より仕事を休めない状況にあったことから、1日で完了する点はむしろ大きな魅力でした」。
意を決して受診し、診断されたのは椎間板の損傷。医師からは「絶対にやった方がいい。2箇所、できれば3箇所」と椎間板に対する日帰りの注射治療を勧められた。担当した医師の自信に満ちた説明も印象に残っているという。
結局、治療を受けたのは3箇所。治療後、千田さんはクリニック関連のケア施設「カーム」を訪れた。会社を休まずに済むお盆休みを利用しての5泊ほどの滞在で、さまざまなリラクゼーションも体験しつつ、中心となったのは理学療法士による骨盤を滑らかに動かす体操の指導だった。これが腰痛改善に大きな効果をもたらす。骨盤が滑らかに動くようになると腰の負担が全く違い、長年の悩みだった車の運転時の腰痛が格段に楽になったのだ。「手術だけで治ったというよりは、その後に骨盤を動かす指導があって大幅に痛みが軽減された」と、率直に振り返る。
その効果を実感して以来、千田さんは週末に山歩きや自転車で出かけた夜に施設で教えてもらった腰痛体操の動画をクールダウンとしてルーティン化している。あるときトレランの急坂登りで背中の上部が痛むようになった際には、LINEでケア施設に相談し、自分に合わせてアレンジされた体操を教わったところ、1カ月ほどで症状が消えたという体験もありがたかったという。

近所の子供たちに日本拳法を教える千田さん
そのアクティブな生活は、時に新たな試練ももたらす。小指、手首、鎖骨、そしてマウンテンバイクの大会での骨折──この1年だけで4回もの骨折を経験した。ぬかるんだ山道での転倒、片道53kmの自転車通勤の帰りの夜に鉄ポールへ突っ込んでの負傷など、いずれも活動の最中の出来事だった。それでも新しいことに次々に挑戦していく。
若い頃から日本拳法に打ち込んできた千田さんには、基礎体力とともに逆境を跳ね返す精神力も備わっているのだろう。医師からは、かかとの状態を考えると「水泳が一番良く、トレイルランニングは一番良くない」と助言されている。しかし彼は、「痛いからこそ頑張れる」「痛みがあるから、生きている実感がある」と語る。悪いコンディションに体が慣れ、むしろ鍛えられていく感覚さえあるのだという。
もちろん無理を重ねているわけではない。年齢や体へのダメージを見据え、夜間は自転車に乗らないといった家族との約束を守りつつ、比重を山のランニングから自転車へ、さらに負担の少ない水泳へと戦略的に移しながら健康を管理している。
「原動力となっているのは、未来への夢。いつか娘に子どもが生まれたら、背中に木椅子を背負ってアルプスの頂上まで孫を連れて行ってあげること。その夢のために、体を鍛え続けています」と語ってくれた。